» 2014 » 6月のブログ記事

ソフトバンクが人型ロボットを開発したというニュースを見た。ボールを蹴り返したり、簡単な会話をすることは今やそれほど珍しいことではないらしい。

災害現場に入っていったり、介護の手助けをしたりと、ロボットは人以上に人の役目を果たしている。洋画でもよく人工知能が主人公として現れるし、オズの魔法使いにも心のないロボットがいた。何があってもおかしくはない時代だけれど、ロボットを量産してもいいものか。

ロボットの問題点として真っ先に思いつくのはコミュニケーションだ。

確かに、こちらが話すことに対して何らかのアクションがあれば、嬉しい。身寄りのないお年寄りや、小さな子どもにとっては楽しいかもしれない。

ある程度の会話のパターンを予測することで、当たり障りのないことならキャッチボールはできる。それでもだ。こちらが発したことに対してロボットには心の動きはない。

発言した言葉に対して彼らは感情を持ち合わせていない。

ただ会話をしたいと言うのなら、人型ロボットとしてはいい。

しかし、意思疎通が図れていない時点で、それは会話と言えない気がしないでもない。

人間である以上、感情を交えない子行為は、いささか苦痛が伴い、寂しいものがある。

人とロボットの間にある壁とは、どれだけ有能な人間の知恵を持ってしても、そうそう破れるものではないとそう思うのだ。”

低所得層への擦り寄り

| ニュース |

ホワイトカラーの労働規制撤廃の導入が検討されているらしい。
たくさん稼ぐ分沢山働けということでもあるだろうけれども、メリットがいまいちわからない。
低所得層は働いた分稼げるけど、責任ある立場高所得層の立場になったら違うよ、ということだろうか。
労働者の大多数を占める低所得層の一員である自分からすれば、自分の生活に直接関係のない話だけに、反対する理由もない。
もしかすると高所得者に厳しい労働条件条件を突きつけることで、低所得者層の支持を得たいのだろうか。
メリットが思い浮かばないだけにそんなことを考えてしまう。